富士山の麓の田んぼには緑の風が渡る。
黒いチュニックを着た12歳の女の子は終始うつむきがちに足元を眺める。声をかけると消え入りそうな声で返ってきて聞き取れない。
8年前に会っているとはいえ、もう忘れてるから初対面のようなものである。
不安と緊張が入り混じった表情でカメラを構える僕を、見ない。
本当にひとり旅してるみたいだ。
平日昼間の岳南電車は、ごとごと工場と住宅地の間を走る。
彼女は窓外の景色にはなんの興味もなさそうで、路傍から持って来たエノコログサを揺らしている。
彼女の中には彼女の世界があるのだろう。学校では図書委員をしているという。
電車を降りると、彼女は一人で興味の向くほうへ歩いてゆく。
僕は彼女を追いかけるようにして写真を撮る。
おそらく彼女は緊張しているというより、写真を撮られることにまったく興味がないんだろう。
ママはパティシエをしているから、好きなお菓子を聞いてみたら、「練り飴」と答える。近所にある駄菓子屋に売っているという。
彼女がバッグから取り出した小瓶に入ったそれはサイダー味で、サファイアのような透明なブルーのとろりとした水飴を、短い棒に巻きつけて舐める。
なんだか魔法を見ているような気持ちになる。ジブリ映画「魔女の宅急便」の主人公キキみたいだ。
田子ノ浦の海岸は、太平洋からよろめくほどの強い風が吹いて、彼女の髪は舞い踊る。
彼女ははしゃぐでもなく堤防に座って黙々とスナック菓子を食べている。お腹が空いたのか。なんだか不思議な子だなあ。
撮影の終わりに、どんな大人になりたいか問うてみた。
彼女はしばらく、ほんとにしばらく考えてから小さな声で「普通の人」。
どういうことが普通なんだろう。彼女はあまり間をおかずに「お金を稼げる人」と続けた。
本好き少女の現実的な答え。
そう。君は僕のような大人になってはいけない。
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